NATUREBEAR
「極北の民 イヌイット」
C・W・ニコル記

極北--
厳しい寒さと荒涼とした大地が広がるここは、
一見貧弱な場所に見える。
しかし、そこに生きる生命の豊かさは目を見張るばかりだ。
海を埋めるアザラシ、陸を覆うカリブー、
季節を変えて空を賑わす渡り鳥。
そして、その自然と一体になって
生きるのがイヌイットの人たちだ。
自然との共生が求められている私たちにとって、
ある意味でここは理想郷だ。
今私たちが理想としている
「精神=スピリット」がここにある。
しかし、この土地にも様々な脅威が忍び寄っている。
極北は 地球の環境問題の最前線で、
かつ核心部分だ。
ここを知ることが我が地球の未来を知る事になる。
北極には、カリブーやバイソン、
ジャコウウシやマンモス
さらにはそれを追うオオカミの群れ、
小鳥や小動物たちなど、
ツンドラやタイガ(針葉樹林帯)に生息する
すべての生き物が、
それこそ数え切れないほどひしめき合っていた。
そして、そこには老人が
その豊かな経験と知恵によって
敬われ、頼られる、
すべての人間に分け隔てのない
イヌイットの社会があった。
現在、北極といわれる地域に
いつから人が棲むようになったか、
それはいまだになかなか研究の進まない分野だ。
私は根が単純な性質(たち)なので、
自分が経験したことと
本などで見聞きしたこととを
結びつけて考えるしかないが、
その内容が矛盾することも少なくない。
本によれば、前回の氷河期には、
現在のカナダの大部分と
さらに南の、
アメリカ合衆国に当たる地域の一部までが
万年氷や氷河に覆われていたという。
その頃、北米はユーラシア大陸と地続きで、
幅千キロメートルを
超える陸橋で結ばれていた。
二つの陸域をつなぐこの陸地は、
その後「ベーリンジア」と名づけられる。
当時、アラスカやシベリアの大部分と同様、
ベーリンジアもまた氷とは無縁だった。
研究者の言を信じるならば、東シベリアから渡ってきた
猟師たちが「新世界(西半球、特に南北アメカ) 」に
広く住み着いたのは約3万年前のことだという。
だが、大地を覆う氷は次第に
厚さを増し、遂には氷の壁となって、
その後一万年以上の永きにわたり、
南北をつなぐ道を遮断してしまうのである。
やがて、その氷が姿を消したとき、
獲物を追い求めてそのまま
「新世界」に定住していた人々は、
シベリアからの移民の一団と遭遇する。
移民の子どもたちの背骨の付け根あたりには特徴的な
青アザ、いわゆる「蒙古斑」があった
(日本人女性を母に持つ、
私の四人の子どもたちにも全員、
この蒙古斑があった)。
彼らがアラスカにたどり着いたのは、
約8千年前のことだ。
移民たちはその後も東進を続け、
紀元前2千年頃には
グリーンランドへ達したと考えられている。
そして紀元前8百年頃、
カナダ北東部およびグリーンランド北部に、
いわゆる「ドーセット文化」が出現する。
彼らの冬の住居は半地下式になっていて、
岩壁に、屋根はクジラの肋骨とアゴの骨という
頑丈な造りだった。
石鹸石で作ったランプで灯りと暖をとり、
燃料には海洋ほ乳類の皮脂を用いた。
ノルウェーの航海者
エリック・ザ・レッドの冒険談によれば、
その人々はカヤックないしは、
獣の皮を張って作った船を使っていたという。
彼らの素晴らしい文化、生活様式は、
北極を舞台に2千年にわたって栄えた。
その後、紀元9百年前後、
今度は西からの移民が新たに登場する。
わずか3百年足らずの間に、
彼らは先住者である
ドーセットの民に取って代わり、
その文化を吸収・打破することになるのだが、
ドーセットの人々は、類い稀なる強さを誇った
伝説の勇者チュニットとして、
今なお語り継がれている。
テューレと呼ばれた
新たな文化の主役となったのは、
チュニット同様、雄々しい猟師たちだった。
巨大なホッキョククジラから
アザラシ、ホッキョクグマから
ホッキョクウサギに至るまで、
あらゆる生き物が彼らの獲物だった。
テューレの猟師たちは
カヤックに加えて、ウミアクと呼ばれる
もっと大きな無甲板船を操った。
彼らはまた犬ゾリを駆り、狩猟や彫刻、さらには
火を起こすための独創的な道具を生みだした。
適応力 に優れ、勇敢で、
だが平和を愛する人々。
分かち合う喜びを知り、
昔語りをこよなく愛し、よそ者に対しても
この上なく親切な心やさしき人々だった。
誇り高き猟師である彼らは、自らを「人民」―
すなわち「イヌイット」と称した。
そこには、老人が
その豊かな経験と知恵によって敬われ、
頼られる、すべての人間に
分け隔てのない社会があったのだ。
1950年代、私がまだ十代で
初めて北極を訪れた頃には、
大人が子どもを叩くところなど、
ただの一度も見なかった。
これほど陽気で人なつこい人たちには
会ったことがないと、
そう思ったものだ。
確かに、彼らの伝説の中には、
バイキングを初め、
侵略者たちの登場する
血塗られた場面も出てくる。
南部の森からやって来た
侵略者たちは、争うことを知らない
イヌイットを虐殺し、
意のままにしようと目論んでいたのだ。
しかし、我慢比べならイヌイットのお手のもの。
彼らは忍耐力、強靱さ、
敏捷さを兼ね備えた人々なのだ。
今だって、北極でまた2年ばかり
暮らす機会が得られたならば、
コーチとしてヌナブットの空手チームを
かなりのレベルにまで
持っていけると、私は自信をもって断言できる。
その長い歴史の中で、
彼らが最大の試練に見舞われたのは19世紀だろう。
南部から入ってきた新たな病気、アメリカやイギリスの
捕鯨船団によるホッキョククジラの乱獲。
近年は、アザラシ皮を売ることも禁じられ、海外の
動物保護団体による激しい攻撃の
矢面に立たされている。
イヌイットたちが父祖の代から絶やすことなく守ってきた
自然の恵み、生活の糧を一方的に奪おうというのだ。
それが彼らの文化や経済に与えた
打撃は、私たちの想像を絶する。
その結果、数多くのイヌイットが心に深い傷を負い、
辛酸を舐めることになった。
そこへ追い討ちをかけるように、
彼らの暮らしと文化を支える海洋ほ乳類までが、
南部の工業国の垂れ流す汚染物質に
よって冒されているという。
ケルト系日本人として、私は言いたい。
イヌイットたちは、我々に何の借りもない。
むしろ、彼らに山ほど借りがあるのは、
こちらの方ではないか。
こんな時代になってもまだ、
彼らの多くが私を友と呼んでくれる
ことが、私にはとても誇らしいと同時に、
身の引き締まる思いなのだ。